2021/10/10 18:02
月の大半旅に出て、輪島に帰っても一週間いるかいないかで、また場所に出掛けていった。一時どうなるかと思った体調も好転した。ここはやるしかない、と三重、愛知、岐阜といつものようにお得意様を精力的に歴...
2021/10/10 18:00
戦時体制に入って輪島塗業界も受難の時代を迎えていた。肝心かなめの漆が軍の統制下にあり、ほとんどの塗師屋は開店休業という状態に追いやられていた。漆が入手できない輪島の町は、火の消えたようなものであっ...
2021/10/10 17:58
三重県と岐阜県を四十五日から六十日ほど回って輪島へ帰り、もろもろの手配や払いをすませて、一週間の後には再び旅に出ていった。「主人はとにかく働くことを惜しまぬ人でした。もどってきても、一日中駆け回っ...
2021/10/10 17:57
「兄はいつも苦労していましたが、幸運をよびこむ人でもありました。兄がやりくりに大変困っている時に、資金面で援助してくれた方がいるんですよ。岩津のおてつさんという人です」 妹のきよさんが優しい目を細...
2021/10/10 17:55
「心細いことはなかった、といえば嘘になりますよ。とにかく右も左もわからない輪島の町で、わたしのような何もしらないものが、塗師屋の嫁としてやっていかなければならなかったのですから。主人は一ヶ月から長...
2021/10/10 17:54
「キクエや、ちょっと輪島まで旅行に行かないか」 年もあけた昭和七年の一月半ばのことである。前年の満州事変にひき続き、この月末には上海事変が起こり、日本をとりまく厳しい国際世論が高まりはじめていた。...
2021/10/10 17:53
輪島漆器の外商に出るようになってから、困ることが生じた。高級な漆器を商う者は、外見も中身も立派な人間に得意先から見られなければならなかった。 昔から輪島では『輪島塗は品物を売るのではなく、人柄を買...
2021/10/10 17:52
輪島で仕入れた漆器はおもに三重県で売った。かつて荒物問屋にいた時に、この地域はけっこう歩いたし品物も捌いた。だが、輪島塗の見本をもっていざ自分だけで外商してみると、なかなか思うようには売れなかった...
2021/10/10 17:51
汽車を乗り継ぎ、能登の七尾で下りた。もう日が暮れていた。七尾は能登一賑やかな町ときいていたが、今まで生活していた名古屋とは比較しようもない田舎にみえた。 明日はいよいよ輪島に入る日であった。 *...
2021/10/10 17:51
巴の期待とは裏腹に、新しく勤めた荒物問屋ひどい店であった。とにかく人の出入りがあまりにも多かった。こんな筈ではなかった、と巴は落胆したが、そうも言ってはいられなかった。ここは自分で選んだ仕事場であ...
2021/10/10 17:49
時代は大正から昭和に御世に変わった。 大正十五年も押し詰まった十二月二十五日、神奈川県の葉山のご用邸にひきこもっていた天皇陛下は、その年の秋の中旬に風邪をこじらし、気管支炎を併発した。十一月になり...
2021/10/10 17:47
兄の元先生十三代目、そして子息の束(つかね)先生が十四代目、さらに現在は十五代目の道彦さんが稲垣家を継いでいる。十二代目から当代まで、四代にわたって医師をつとめていることになる。 十三代当主の束先...
2021/10/10 17:46
姉のすあがいなかったら、後の塗商稲垣忠右エ門はいなかっただろうと、稲垣家の親戚の誰もがいう。姉のすあは十三歳で母のもとに死なれ、後添えに入った義母のときに馴染まない弟の巴や妹のきよの面倒をよくみた...
2021/10/10 17:44
忠右エ門は明治三十六年十一月九日に、愛知県碧海郡上郷村字枡塚(現在の豊田市上郷町枡塚)で、稲垣家十二代隆三郎の四男として生まれた。隆三郎四十三歳の時の子供であった。(余談になるが、忠右エ門が幼少にこ...
2021/10/10 17:39
藩政も末期、万延元年(一八六〇)三月三日の雪の朝。時の井伊大老が十八名の水戸浪士などによって刺殺されるという桜田門の変がおきた。その年の七月七日に、忠右エ門の父隆三郎が生まれている。 長兄である十一...