2-2 はじめて外商にでる | 輪島塗の稲忠

2021/10/10 17:51

巴の期待とは裏腹に、新しく勤めた荒物問屋ひどい店であった。とにかく人の出入りがあまりにも多かった。こんな筈ではなかった、と巴は落胆したが、そうも言ってはいられなかった。ここは自分で選んだ仕事場であった。

 店員はしょっちゅう変わった。二・三日いたと思うと、もう姿をみせない人間もめずらしくなかった。

 ひどいのになると入ってきた当日、行商の荷物を背負い、その日のわらじ銭をもらってそのまま行方不明、なんて男もいた。

<どうってことはない、出入りが激しい店だから新聞広告で募集をしていたのだ。俺がまんまと求人広告の活字に釣られてきたというわけか>

 巴は苦笑した。

 荒物問屋はありとあらゆる家庭用品を扱っていた。外交員の仕事は愛知県内をはじめ岐阜、三重など周辺地域の小さな店へ卸に回ったり、これぞ思う農家や商家へ直接入って売ることであった。

 巴がここに勤めて半年経ったころには、店ではもう中堅どころであった。それくらい店員の出入りは頻繁であった。主人夫婦は店員が辞めて出ていく度に、近頃の若いものは根性がないと、ぼやきながら、性懲りもなくまた新聞広告で人を募った。

「稲垣君、ここにいては将来はないよ」と、辞めていく店員が別れ際によく言った。

 巴も同じ気持であった。たしかにここは長く勤める店ではない。第一扱っている品物があまりにも粗雑品が多すぎる。人使いもあらい。主人はとにかく言葉たくみに物を売ることが商いの秘訣と、誰彼なくいうのが口癖であった。

 半年も勤めているとい店員が得意先からもどってきた。

「お前さんところから買ったあの茶碗は、すぐに縁が欠けちまった。有田のいいものだなんて言っていたが、とんでもない安ものじゃないか。もう二度と来るな!」

 と怒鳴られて帰ってきたと、ぼやくことしきりであった。似たような話は、辞めていった連中の口からよく聞いたものであった。

 巴は辛抱した。ことさら辛いということではなかった。半年しかたっていなかったがもう新米ではなかった。またどういうわけか、ここの主人も女将も自分を買いかぶっているのではないかと思うほど、好感を持ってくれていた。

 つい先日のこと、新入りの店員がすぐに辞めて出ていった。

「巴さん、あんたが頼りだ。どうかあんただけは辛抱していただけないか」

 いつもに似合わぬ、しんみりした口調で女将が懇願するのだった。

 巴は愛知県内と三重県方面にセールスに出ていた。焼物、塗物、金物など、サンプルをもって注文をとりにあるいた。

 訪問先ではいろいろな経験をした。はじめての訪問先ではよく警戒されることがあった。そんな時には名のあるお得意さまの屋号を出し、商品も有名産地の物であることを力説した。その説明のくだりは荒物問屋の主人から口を酸っぱく聞かされていた。不思議なもので、何人かに一人は、それならちょっと見るだけですよ、と断りながらも解いた荷物を見てくれた。ついでに買ってくれる人もいた。商いの不思議さを巴は知った。

 持ち場の地域をこつこつと歩いた。

 なんどか訪問した小売店で、厭味をいわれたこともあった。

「うちのお客さんであんたがおろしてくれた品物を使ってみたら、すぐに痛んでしまったそうだ。お詫びの品をつけて他の業者から仕入れた同類品を代えてあげたよ」

 それに似たことが何度かあった。巴も事情は知っていた。扱っているものが、必ずしも一流の責任をもてる品物ばかりではなかったのである。特に陶器と漆器については、しろうと目ではなかなかその場で品質の良悪を見分けることができなかった。それをいいことに有名産地のものと言っては、他産地の見かけは同様の低い品質の器物を売るのが、巴のつとめていた問屋の営業方針のようなものであった。

 日々そのような商いをしながら過ごした。同時にやりきれなさも、巴の胸中で日増しに膨張していった。店にかえり寝床で同僚と交わす会話は、得意先から文句の山を言われたというのがもっぱらであった。

 その夏、オランダのアムステルダムで第九回オリンピックが催され、日本選手では陸上三段跳びで織田幹雄、水泳の平泳ぎで二百㍍で鶴田義行が、それぞれ金メダルを獲得したことが大きく巷に報道され、また十一月には一昨年の暮れに今上天皇となった裕仁陛下の即位大礼式が京都御所で行われ、日本中が奉祝行事に酔いしれた。

 巴はこれらの報道を紙面やラジオで知った。時代が変わってきたなと巴は思った。

 やがて昭和三年も終わろうとしていた。

 

*

 

 ある確信めいたものが、巴の中で蠢いていた。

 他の店員に言わせれば味噌糞の店の主人夫婦も、なぜか自分には好意的であった。

しかし、このまま此処にとどまる訳にはいかなかった。巴はまだ松がとれない新年早々、主人夫婦に退職を申し出た。

 賭事が好きで、ほとんど店は女将まかせにしていた主人も、巴のにわかな申し出にはいささか狼狽したようだった。

「あんたが居なくなってはこの店も終わりだ。行く末はあんたに店を持たそうと考えていたんだ。どうか思いとどまってくれないか」

 主人夫婦は他の店員に対する時の口っぷりとは全くことなり、力を落として嘆願するのであった。

<ここで引くことはできない。自分の意志に負けることはできない。どうしてもやらねばならないことが俺にはある>

 主人夫婦に対して巴は、自分を買ってくれるのは有り難いが、どうしても自分にはしたいことがあるので、曲げて許していただきたいと丁重に懇願した。すぐに辞めずに三月の終わりまではご奉公させていただきますと、きちんと正座したまま深々とあたまをさげた。巴は先方に理解をもとめるときの作法を、外商体験を通して身につけていた。

 巴の確信めいたものとは、『輪島漆器』であった。姉の家の土蔵の品物を虫干した時に見た、奥底から気高い光を放つ不思議な器であった。神秘的でさえあった。思わず手にとった漆器の感触は、その後も巴の掌からぬくもりが消えることはなかった。

 高橋家にあった塗物すべてが輪島塗とは思えなかったが、この荒物問屋に勤務してかなりの漆器を扱った。みるからに質の悪いものもあった。自分も輪島塗ではないことを充分承知でいながらも、あたかも輪島塗であるかのような口調で売ったこともあった。

 商品の中身を知らない当初はそうでもなかったが、ある程度漆器について判別できるようになってからというものは、輪島漆器でないものを『輪島塗』と称して売った後はうしろめたさが残った。悔いは少しづつ蓄積し、もうパンク寸前までに膨らんでいた。

 お得意さまから苦情をいただくことも少なくなかった。そのたびに平にあやまり、二度とこのようなことのないように、充分吟味して品物を納めますと、巴はほうほうの態で其処を辞したものである。ところが同じ卸し先で、皮肉にも同じことが起きた。これにはほうとうに参った。まさか「再びもう二度とこのようなものを・・・・・」と、言える神経までは巴には持ち合わせていなかった。


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----- 目次 -----

1章 故郷三河の稲垣家

 1-1 矢作川と稲垣家

 1-2 学問ひとすじ 祖父真郎

 1-3 人生謳歌、父隆三郎

 1-4 おいたち

 1-5 収蔵品の虫干し

 1-6 現代の稲垣家


2章 塗師屋への道

 2-1 クリーニング店に住み込み

 2-2 はじめて外商にでる

 2-3 輪島の地を踏む

 2-4 三重で漆器外商、そして結婚

 2-5 忠右エ門を名乗る

 2-6 輪島に移住し、塗師屋となる

 2-7 かけだし時代

 2-8 岩津のおてつさん

 2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る


3章 苦闘の時代

 3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ

 3-2 行商三昧

 3-3 能登観光の黎明と水害受難


4章 漆器組合の理事長に就任

 4-1 塗師屋の仲間組織

 4-2 火中の栗

 4-3 組合再建への礎に

 4-4 高松宮妃殿下を迎える


5章 漆器と観光の船出

 5-1 観光時代の到来

 5-2 カニ族のたまり場

 5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設

 5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん


6章 逝去、子息らに夢を託して

 6-1 ボーリング場跡地を購入

 6-2 民夫社長を指名、会長になる

 6-3 七十四歳の誕生日

 6-4 病床でキリコ会館の開設を見る

 6-5 初秋に逝く

 6-6 没後十年、創業六十年