2章・塗師屋への道 2-1クリーニング店に住み込み | 輪島塗の稲忠

2021/10/10 17:49

時代は大正から昭和に御世に変わった。

 大正十五年も押し詰まった十二月二十五日、神奈川県の葉山のご用邸にひきこもっていた天皇陛下は、その年の秋の中旬に風邪をこじらし、気管支炎を併発した。十一月になり、病状はさらに悪化していた。

 宮内省が大正天皇崩御を発表した。当時二十五歳の皇太子裕仁親王が天皇陛下となった。崩御が未明の一時二十五分であったこともあり、早朝から新聞の号外が翔ぶように売れた。一部の新聞が新年号は『光文』に決まったとスクープしたため、あらかじめ内定していた『光文』にかわり『昭和』になるというハプニングもおきた。

 「巴、知っているクリーニング屋の主人が、人手がいると言っているんだけど、そこでしばらくでも働いてみたらどうだろう」

 新しい昭和の時代にはいって間もないある日、姉から就職の話がもちこまれた。

 姉の嫁ぎ先、西尾市の高橋家に世話になっていた巴が、はじめて働きに出ることを決意した。いつまでも居候同然に世話になってばかりはいられない。なにかしなければならない、それも自力で頑張らなければ……。ここ一・二年思い続けていたことであった。ただきっかけがなかった。思い切りがつかなかったのである。

 自分にはいったい何が向いているのか。どの道を歩めばいいのか。何度か自問自答をしてみたものの、いっこうにこれだという自信めいたものが巴には湧かなかった。

 格別乗り気もなかったが、まあ姉の勧めでもあるし、勤めに出てみても悪くはないなと、いう感じであった。

 巴はとまり込みでクリーニング店で働くことになった。住み込みで、ということはクリーニング屋の商売柄でもあったが、姉の深慮からでもあった。

 姉のすあは苦労人で面倒見の良い性分であった。巴に今、何よりも必要なのは、他人の釜の飯を食べさせることだと考えていたからである。仕事はなんでもよかったのである。

 名古屋市中区にある、コミヤというクリーニング店に一年半ほど勤めた。

 姉の知り合いということもあって、主人夫婦はなにくれと面倒をみてくれたが、逆に姉の顔もつぶせないと、巴は巴なりに慣れない仕事に励んだ。衣類ひとつでもこんなに種類があり、素材や仕立ての違いによって、洗濯の方法も手入れもたたみ方も異なるものかと、仕事を通して知った。

 巴は洗濯物の収荷や配達にもでた。ボタンがとれている、仕上が粗い、シミが落ちていない、と時には配達先で怒鳴られたりした。店内でクリーニングの仕事をしていれば、無理とおもえるほどの作業が飛び込んできた。

 仕事とはこういうものだと、巴はここに来て初めて体験した。

 稲垣家の「巴ぼっちゃん」の汗とほこりまみれの一年半であった。

 洗濯屋の勤めをやめようと決意したのは巴自身の決意によるものだった。

 この仕事は俺の一生の仕事ではない。洗濯屋の仕事もやってみれば、見掛けよりもおもしろい仕事であることはわかった。だが俺には他にもできるものがある筈だ。定かではないが、自分の進む方向がちらついてきたような感じがしてならなかった。

 洗濯物を集め洗浄し、仕上げてお届けする。日常あたり前に身につける衣類だが、クリーニングの行き届いたものを着ている人間は、町をあるいていてもどこか颯爽としている。気分もよさそうだ。また配達先の家人から「コミヤさん!いつもありがとう。あんたの店はほんとにきちんと配達してくれるので助かる」などと言われると疲れも飛んだ。

 またある時、最近引っ越してきたばかりという家の仕上げ物を配達しに行ったときのことだった。洗濯ものを渡す際に、ふと出掛けに主人がこの洋服は舶来物のいいものだ、と言っていた言葉を思いだした。

「旦那さん、いい洋服をおもちなんですね」

 と巴が言った。そこの家人は嬉しそうに。

「あんたは若いけれど、物を見る目がある」

と、それ以後いろいろな洗濯物をだしてくれた。

 巴はクリーニング店での体験を、無駄だとは思わなかった。

<俺には他に、まだ俺でなければ出来ないことがある>

 仕事をとおして沸き上がってきた巴の実感であった。巴の意地でもあった。男としての俺の一生の仕事は必ずある筈だ。巴は重ねて自分に言い聞かせるのであった。

 求む!外交員。

 アイロンかけを最後にその日の仕事を終え、一服しながら新聞に目を通していると外交員募集の活字が巴の目に入った。もう何日も前から、ほかの仕事についてみようと巴は腹を固めていた。

 同じ名古屋市内の荒物問屋に住み込みで入る決意をした。姉には事後報告をしておけばいい、と一人で決めて世話になったクリーニング店の主人に暇乞いをした。

「巴ちゃんが自分の意思できめたんだから、引きとめないよ」

と、店の主人も気持ちよく送りだしてくれた。

主人は巴が配達先で大きな身体に似合わず、穏やかに顧客の対応をし、信頼を得ているのをよく知っていた。


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----- 目次 -----

1章 故郷三河の稲垣家

 1-1 矢作川と稲垣家

 1-2 学問ひとすじ 祖父真郎

 1-3 人生謳歌、父隆三郎

 1-4 おいたち

 1-5 収蔵品の虫干し

 1-6 現代の稲垣家


2章 塗師屋への道

 2-1 クリーニング店に住み込み

 2-2 はじめて外商にでる

 2-3 輪島の地を踏む

 2-4 三重で漆器外商、そして結婚

 2-5 忠右エ門を名乗る

 2-6 輪島に移住し、塗師屋となる

 2-7 かけだし時代

 2-8 岩津のおてつさん

 2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る


3章 苦闘の時代

 3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ

 3-2 行商三昧

 3-3 能登観光の黎明と水害受難


4章 漆器組合の理事長に就任

 4-1 塗師屋の仲間組織

 4-2 火中の栗

 4-3 組合再建への礎に

 4-4 高松宮妃殿下を迎える


5章 漆器と観光の船出

 5-1 観光時代の到来

 5-2 カニ族のたまり場

 5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設

 5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん


6章 逝去、子息らに夢を託して

 6-1 ボーリング場跡地を購入

 6-2 民夫社長を指名、会長になる

 6-3 七十四歳の誕生日

 6-4 病床でキリコ会館の開設を見る

 6-5 初秋に逝く

 6-6 没後十年、創業六十年