2021/10/10 17:46
姉のすあがいなかったら、後の塗商稲垣忠右エ門はいなかっただろうと、稲垣家の親戚の誰もがいう。姉のすあは十三歳で母のもとに死なれ、後添えに入った義母のときに馴染まない弟の巴や妹のきよの面倒をよくみた。根っからの苦労をいとわない強い性格と優しさをもっていた。嫁いだ先は西尾市の旧家で、おおらかな主人は時折、浄瑠璃などをかたる人であった。商売にもっぱら精を出すのはすあの方であった。
巴は高橋家に来ても、特別することがなかった。気分転換になればと来ただけである。ぶらぶらしていても「高橋家の当主はひとことも言わない人だった」と、これも先年妹のきよさんから伺ったことである。巴は言ってみれば居候の身分であった。
暑い夏の日だった。妹のすあが「巴ちゃん、暇をもてあましているなら、今日は天気がいいから蔵の品を出して、虫干しをしておくれ」という。
まあ、居候の身分だからしょうがねえや、と巴は土蔵の中に入っていった。暗い蔵のなかには、巴がはじめて見る骨董品などかなりの数が収蔵されていた。掛け軸、書画。慶弔時につかう特別の家具などが、巴のてによって庭先にだされた。高橋家にはかって松平の殿様から拝領したと伝えられる、結構な品々も蔵に収まっていた。
上郷の家にも骨董品や書画が結構あったが、高橋の家に比べれば少なかった。
なにげなく明るいところに出した書画骨董品を、実際目の前で見ているうちに、巴の目を捉えてはなさないものがあった。五段重に文箱、数種類の盆類に朱色の角樽、二段の卓やなつめ・水差しの茶道具などの漆器であった。<古いもんだろうけど、立派なものだ、なんと見事な家具だろう>巴は目の前の漆器が何処の産のものか、そこまでは気が回らなかった。「粗末に扱わないで」という姉の声を待つまでなく、巴は大切に漆器の手入れをおこなった。<漆物はなんと不思議な魅力があるものだ>巴は痛感していた。虫干しは苦にならなかった。忠右エ門と漆器との出会いであった。
----- 目次 -----
1章 故郷三河の稲垣家
2章 塗師屋への道
3章 苦闘の時代
4章 漆器組合の理事長に就任
5章 漆器と観光の船出
6章 逝去、子息らに夢を託して