6-5 初秋に逝く | 輪島塗の稲忠

2021/10/10 18:21

 前年の暮れも押し詰まったある日、キクエ夫人ととし子専務は、懇意の院長先生と柳一子総婦長から、忠右ェ門の体がかなり悪い状態にあることを知らされた。

片足は一方の足の倍程も腫れあがっていた。脳血管に動脈硬化がみられ、血行を絶やしはじめていることが、身体と言語の反応の鈍さにあらわれていた。

治療においても、看病においても、懸命な努力をしたものの、快方に向かうことは無かった。糖尿病も併せて忠右ェ門の身体を蝕んでいた。

暑い夏もどうにか過ぎた。

忠右ェ門はもてる強靱な精神力を、すでにつかい果たしていた。

その日は朝から気持ちの良い青空がひろがり、吹く風もこころなしか涼しかった。

九月九日午前十一時十五分、稲忠漆芸堂の創業主で会長をつとめる、稲垣忠右ェ門は家族に見取られ、波瀾に富んだ生涯を終えた。享年七十五歳であった。

葬儀は自宅近くの善龍寺で行われ、訪れた参拝者の半数ほどが、御堂に入りきれない、というほどの多くの人々の御参があった。死因は脳血栓であった。

法名、穏和院釈忠門。


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----- 目次 -----

1章 故郷三河の稲垣家

 1-1 矢作川と稲垣家

 1-2 学問ひとすじ 祖父真郎

 1-3 人生謳歌、父隆三郎

 1-4 おいたち

 1-5 収蔵品の虫干し

 1-6 現代の稲垣家


2章 塗師屋への道

 2-1 クリーニング店に住み込み

 2-2 はじめて外商にでる

 2-3 輪島の地を踏む

 2-4 三重で漆器外商、そして結婚

 2-5 忠右エ門を名乗る

 2-6 輪島に移住し、塗師屋となる

 2-7 かけだし時代

 2-8 岩津のおてつさん

 2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る


3章 苦闘の時代

 3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ

 3-2 行商三昧

 3-3 能登観光の黎明と水害受難


4章 漆器組合の理事長に就任

 4-1 塗師屋の仲間組織

 4-2 火中の栗

 4-3 組合再建への礎に

 4-4 高松宮妃殿下を迎える


5章 漆器と観光の船出

 5-1 観光時代の到来

 5-2 カニ族のたまり場

 5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設

 5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん


6章 逝去、子息らに夢を託して

 6-1 ボーリング場跡地を購入

 6-2 民夫社長を指名、会長になる

 6-3 七十四歳の誕生日

 6-4 病床でキリコ会館の開設を見る

 6-5 初秋に逝く

 6-6 没後十年、創業六十年