3-3 能登観光の黎明と水害受難 | 輪島塗の稲忠

2021/10/10 18:04

《克己が宿に帰ろうと、曽々木部落に近い断崖のトンネルにさしかかると、トンネルの闇の向こうから、明るいワンピースの娘が歩いてきた。鮎子であった。烈しい感情が沸き起こった二人は、どちらともなく近づいて、克己はしっかりと鮎子を抱きしめた》

昭和三十一年十一月二〜四日に行われた『忘却の花びら』の東宝映画ロケは、輪島市の東部にある曽々木海岸を中心に行われた。当時人気ナンバー1放送作家の菊田一夫原作によるラジオ番組の映画化であった。輪島の町からも克己役の小泉博や鮎子役の司葉子などのスターを一目見ようと、多くの人々が見物にでかけた。

忘却の花びらは昭和三十二年の正月映画として全国で封切りされた。

この映画によって、能登が観光面で大きくクローズアップされることになった。曽々木海岸はロケ地であったこともあり、奥能登観光のメッカとしていち早く脚光を浴びることになった。

「ぼつぼつ観光客が輪島の町にも見えるようになったな」

と、旅先から帰っていた忠右ェ門は、営業を担当している柳滋と話し合っていた。

旅から帰る毎に、わずかだが町の中を歩く観光客の姿が増えていた。

映画の力は絶大なもんだな、と忠右ェ門はひとりごとを言った。

昭和三十年代に入って、ようやく国内事情も落ち着きをみせてきた。株式会社稲忠漆器店もこの頃になって経営も落ち着き、社員も徐々にふえてきていた。

三重・岐阜を中心に、ときには関東方面にまで足をのばして販路を伸ばそうと、忠右ェ門は相変わらず忙しい毎日であった。あの苦しい時代に、祈るように期待していた輪島漆器の戦後の夜明けはまぎれもなくやってきていた。

<漆器の商いにも大きな変革が来そうだな>すれちがう観光客を横目に見ながら、忠右ェ門の脳裏にある予感が走った。日本の大衆旅行時代が目前に迫っていた。

昭和三十一年七月十六日。はじめて日本住宅公団が建てた賃貸しアパートが東京都にお目見えした。いわゆる2DKの間取りのアパートで、当時のサラリーマンの収入が一万五千円前後に対し、家賃が四千円というものであった。

その日、皮肉なことに輪島では、前夜から雷をともなった豪雨に見舞われ、洪水騒ぎという最悪の事態をむかえていた。

河川が急増水し新橋が流出した。水がどっと市街地にながれこみ、未曾有の水害となった。家屋の全壊八戸をはじめ、二千戸以上もの家に被害が及んだ。田畑、道路、橋梁、堤防などを含めて三十二億円以上の災害と報じられた。

稲忠漆器店も床の上三尺まで水があがり、家族社員が総出で一階にあった半製品や漆を二階に移した。家具や商品など運びきれないものも多く、一時のうちに大きな損害を被った。輪島の町のかなりの広い範囲で被災があり、あとかたずけをする町民のだれもが、信じられないことが起きたものだと、眉を曇らせていた。

稲忠では輪島の塗師屋の中でたった一軒だけ、木地工房をもっていた。おもに椀木地であった。水につかった加工前の木地は再度使用はできなかったが、漆で完全に塗りあげてあった製品は、丁重にぬるま湯で拭くと、もと通りの潤沢な肌が現れた。

せっかく仕事も軌道にのってきたところに、この洪水騒ぎであった。

「これでは何のために今日まで一生懸命働いてきたかわからない」

と、愚痴のひとつも言いたかったが、いやいや自分の所はまだこの程度で良かった方だ、と忠右ェ門は自分に言い聞かせ、また場所へ出かけるのであった。

昭和三十三年の春、一階に小さな店舗を構えた。漆器を求めて来る一般の人に対する店舗は、駅前通りなどに何軒かあったが、観光客の受け入れを中心に工場見学と、店舗を開設したのは、稲忠漆器店が初めてであった。

仕事をしながら店を見ていられるから、と始めた観光第一号の漆器売店であった。


次へ 4章・漆器組合の理事長に就任



----- 目次 -----

1章 故郷三河の稲垣家

 1-1 矢作川と稲垣家

 1-2 学問ひとすじ 祖父真郎

 1-3 人生謳歌、父隆三郎

 1-4 おいたち

 1-5 収蔵品の虫干し

 1-6 現代の稲垣家


2章 塗師屋への道

 2-1 クリーニング店に住み込み

 2-2 はじめて外商にでる

 2-3 輪島の地を踏む

 2-4 三重で漆器外商、そして結婚

 2-5 忠右エ門を名乗る

 2-6 輪島に移住し、塗師屋となる

 2-7 かけだし時代

 2-8 岩津のおてつさん

 2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る


3章 苦闘の時代

 3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ

 3-2 行商三昧

 3-3 能登観光の黎明と水害受難


4章 漆器組合の理事長に就任

 4-1 塗師屋の仲間組織

 4-2 火中の栗

 4-3 組合再建への礎に

 4-4 高松宮妃殿下を迎える


5章 漆器と観光の船出

 5-1 観光時代の到来

 5-2 カニ族のたまり場

 5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設

 5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん


6章 逝去、子息らに夢を託して

 6-1 ボーリング場跡地を購入

 6-2 民夫社長を指名、会長になる

 6-3 七十四歳の誕生日

 6-4 病床でキリコ会館の開設を見る

 6-5 初秋に逝く

 6-6 没後十年、創業六十年